全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県大会1回戦 狭山ヶ丘 vs 浦和南

令和元年度第98回全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県大会が14日に一斉に開幕。ホームで狭山ヶ丘高校を迎えた昨年大会覇者の浦和南高校は2ー0で勝利し、2回戦に駒を進めた。

野崎正治監督は「うちはこの戦いしかできない」と言って苦笑いを浮かべたが、立ち上がりから攻守で、らしさを発揮した浦和南が注目カードを制し、連覇に向けて1回戦を突破した。

先制点は得意とするセットプレーから。前半3分、敵陣右サイドからFW佐藤智隆がロングスローを放り込むと、混戦からボールをキープしたMF中道麗心がエリア深くまで運んでクロス。このボールを今大会は右サイドバックを務める近藤佳輔が押し込んで早々に試合を動かした。

守備では前線から連動してスライドを繰り返し相手にパスコースを与えず。奪ってはコーナーフラッグをめがけて蹴り込みながら圧をかけていく。前半37分には左サイドをドリブルで抜け出したMF猪俣友希のクロスに「得点は久しぶり。しっかり首を振らないように、あとは強く当てることを意識した」というMF山野井一馬がヘディングで左隅に流し込んでリードを広げた。

一方、狭山ヶ丘は1次予選の代表決定戦で2得点を挙げたMF吉野斐斗が左サイドから打開を図るも、なかなか2トップの貫井紀宏、松山ジョセフ丈にボールが入らず。後半は途中出場のFW川端海斗がチャンスメイクしながらゴールに迫ったが、ネットを揺らすには至らない。

後半は押し込まれる時間帯が増えたものの、DF庄司千暁、大石季侑の2センターバックを中心に粘り強く守り抜いた浦和南がしっかり「0」で抑えて、初戦を2ー0の完封勝利で終えた。

「この庭では負けられない」。松本先生の想いが詰まったグラウンドで浦和南が初戦突破

浦和南は1969年に高校サッカー史上初の3冠(高校選手権、高校総体、国体)を達成するなど、赤き血のイレブンと呼ばれるチームのベースを作り上げた松本暁司氏が9月3日に逝去。この日は左腕に喪章、ベンチからは松本先生の遺影も見守る中で初戦に臨み、勝利を飾った。

自らも選手として、指導者として師弟関係を築いた野崎監督は「やっぱりこの庭では負けられない。我々が一生懸命流した汗が染み付いているところであり、松本先生の想いが詰まったこのグラウンドでは負けられないという意気込みを持って選手たちにもやらせたい」と語った。

松本先生は高校創立の1963年から指揮し、1969年には史上初の三冠を記録、1975、1976年には全国高校選手権大会連覇を達成した。その様子は梶原一騎原作「赤き血のイレブン」として漫画、アニメ化もされた。1995年に32年勤め上げた浦和南を退いたが、その後も同校に対する愛情は変わることはなく。昨年は17年ぶりの選手権出場をスタンドから見守り、今年も亡くなる1ヶ月前に行われたサザンクロスカップに出席し選手たちのプレーに熱視線を送った。佐藤は「昨年の選手権でもいろいろと話してくださって、今年の夏も細かい指導までしていただいた。そういう意味でも思い入れはあります」。選手たちも“松本先生”に捧げるべく、一戦必勝を誓った。

頼れるCBが復帰。昨年決勝弾の庄司、昌平戦は「0で抑えて自分が決めるくらいの気持ちで行く」

無失点勝利を飾った浦和南だが、庄司は「無失点は良かったんですけど、自分としては前半クリアを引っ掛けたり、サイドに蹴れば良いところでコーナーを与えたり少し中途半端になってしまった。もっと思い切ってプレーしないと昌平相手にはやられると思います」と反省した。

それでも頼れるディフェンスリーダーの復帰は大きい。今年は6月にヘルニアを発症し、インターハイ予選には出場できず。復帰までに2ヶ月半を要した。フル出場できるようになったのは選手権直前のS1リーグ第16節国際学院戦から。完全復帰したばかりという中で前半は判断の悪さもあったが、後半は球際でしっかり寄せるなど、堅守のディフェンスラインを牽引した。

「庄司がフル出場できるようになってきて、守備には信頼がある」とはエース佐藤の言葉だ。

指揮官も「グッと安定感が出た」と語り、「今日は少し彼らしくなかった。来週はやってくれるんじゃないですか」。それに対し、庄司は「0で抑えて自分で決めて勝つくらいの気持ちでやります」と答えた。次戦は昌平との大一番。昨年の決勝では1ー1で終盤を迎えた中で庄司の決勝点で17年ぶりの選手権出場を決めた。今年も攻守で試合を決めてチームを勝利に導く。

石黒登(取材・文)

試合結果

狭山ヶ丘 0-2 浦和南

0(前半)2
0(後半)0