ボールボーイから2年で正智深谷のエースに。FW山口陽生が全国決めるスーパーゴール!
ハーフウェイラインより少し手前。ゴールまではまだ距離を残していたが、正智深谷FW山口陽生(3年)にとっては“シュートレンジ”だった。前半、背番号11が思い切り振り抜いたスーパーロングが正智深谷を大会初優勝、8年ぶりのインターハイ全国大会に導く決勝点となった。
小島時和監督が「今年のエースとして見ている」という山口だが、今大会はここまでノーゴールと苦しんでいた。「焦りもありましたし、2試合前に全然自分が良いプレーを出来ていなくてすごく悔しかった」。監督からの期待も十分に理解しており、それに応えられない自分が歯がゆかった。そういった中で「自分が歴史を塗り替えてやる」と強い想いを持って決勝に臨んでいた。
試合開始から武南が攻勢を仕掛ける中で攻撃に出ることが出来なかったが、「自分がボールを持って前を向いたら絶対にキーパーが前に出ていた」と山口の目はその動きを見逃してなかった。
この時は打たない判断を下したが、引水開けの前半23分、中盤でボールを受けて前を向くとキーパーが前に出ているのを確認し、今度は打つことを決断する。まだ40m弱の距離を残していたが、「ロングシュートとかパンチのあるシュートは自分のストロングポイント」。関東予選・埼玉平成戦でも30m級のシュートを突き刺している山口にとってこの距離は“射程範囲”だった。
思い切って右足を振り抜くと、バックスピンをかけて狙ったというキックはグングンと伸びながら最後はキーパーの頭上を越えてゴールネットに吸い込まれた。本人としても公式戦では最長距離だいうスーパーゴールの行方を見届けると、ベンチに駆け出した。「やっぱりチーム全員で戦っているので、みんなで喜びたかった」。そしてサブメンバーたちとも喜びを分かち合った。
結果的にこれが正智深谷のインターハイ予選初優勝を決める決勝弾に。「これまで監督の期待に応えられなかったので、今回で応えることができました」という山口に、小島監督も「ここ一番で点を取るのがエース。良く取ってくれましたね。見事でした」と賛辞を惜しまなかった。
そんな山口だが、正智深谷でのこの2年間は決して順風満帆なものではなかったという。1、2年生の時は「一番下」のチームでプレー。2年前、正智深谷がインターハイ予選で昌平を下した時はボールボーイだった。ちなみに山口が座っていたのはベンチもある埼工大グラウンドの土のグラウンド側。「全然見えなくて、歓声でゴールが入ったのがわかったくらいでした」と振り返る。
そして2年時はコロナ禍に。その中でも「自粛期間に筋トレを頑張って、あと自分たちは地元でサッカーをしている人がいるので、地元の仲間たちと一緒に毎日サッカーをして、いつコロナが収まって練習できるようになってもいいようにいつでも準備はしていました」。最終的に昨年の選手権メンバーに入ることは叶わなかったが、ここでの下積みが3年時に実を結ぶこととなる。
代が替わって最初の紅白戦、今年のトップチームを決める大事な一戦で山口は「結構前でプレスに行ったり、運動量であったり、自分の得意なヘディングとか、ダイナミックなプレー」を発揮。そのプレーが金井豊コーチの目にとまり、ついにトップチームに到達し指揮官も認めるエースとして成長。そしてこの大一番で結果を残し、その判断が正しかったことを証明して見せた。
次なる目標には「プロ」を掲げる。現時点ではそのレベルにないことを認める中で、大学での4年を経てさらに成長しプロ入りにチャレンジする構え。その際も「1年生の時は出られるかはわからないんですけど、4年生の時に出られるようになってそこからプロを目指していきたい」と一番下からスタートした高校時代と同様、絶え間ぬ努力によって道を切り開き、夢を掴み取る。
アスミから正智深谷、大学というラインではFW梶谷政仁(国士舘大4年)の来季のサガン鳥栖内定が発表されたばかり。「すごく刺激になっています。この前も教育実習に来ていたんですけど、自分にいろいろなことを教えてくださって、(この優勝は)梶谷君のおかげでもあります」。
梶谷からは「最初にDFの後ろに立って、2歩下がってから裏に抜けるとか、そういう細かいところまでしっかりと教えてくださった」。また、同じ正智深谷のエースを預かったものとして「自分がエースとして決めてやるぞという心は絶対に持てと、自分が試合を決められるような選手になれと言われました」。そしてその言葉を胸にこの日の決勝では“エースとして”試合を決めた。
全国大会は希望する「関東大学1部」のスカウトにプレーを見てもらう絶好の機会となる。強烈ミドルはインパクト十分。この夏は得点を積み重ねてチームを上位に導き、アピールする。
石黒登(取材・文)