【プロ入りしたあの選手のJrユース時代は?】第1回バスケス・バイロン(東松山ぺレーニア出身)中学年代から一貫していた「ブレない」強さ

プロ入りを果たした選手たちのジュニアユース年代について当時を知る指導者の方々にお話しいただく短期連載。第1回は東松山ペレーニア出身で、青森山田高で選手権制覇、そして「チリ代表になる」という夢の実現に向け今年、いわきFCからチリ1部・CDウニベルシダ・カトリカに期限付き移籍したバスケス・バイロンについて東松山ペレーニアの恩師、福田博之コーチに話を訊いた。(※このインタビューは各クラブご協力のもと、電話取材にて行われたものです)

「ブレない」強さ。そしてライバル榎本の存在

―バイロンくんとの出会いについて。

バイロンは9歳で日本に来たんですが、もう私も小学校の(埼玉県西部)トレセンの時からちょこちょこ見ていて、これだけの個性を消しちゃまずいだろうとは思っていましたね。

―その頃から感じるものはあったと。

日本人とフィジカルのところで違いましたね。バイロンはいま身長が175cmぐらいだと思うんですけど、小学生の頃から大きかったんですよね。小学校5年生の時に私もトレセンで一緒にゲームとかをやって、ぶつかった感覚がちょっと5年生の感覚じゃなかったんですよね。なんか鉛のような感じ。あれはちょっと衝撃でしたね。後にも先にもああいう感覚はあまりない。だから「これは化け物だな」と。

(中学校年代も)ありがたいことに地元で残ってやってくれるという話になったので、うちとしてみればこの個は、本当にいつになくすごい選手だから良さを消さないようにというところを考えて育てた部分は大きい。だからこそ、あのように高校に行っても、いろいろ壁にぶつかりながらでも成長してくれたのかなとは思っています。

―そういった彼に対して中学3年間ではどういうアプローチをかけていったのでしょうか。

バイロンが中1で入ってきた時に自分がトップチームを持っていたので、すぐに上のカテゴリに上げて中3の中でやらせていたんですけど、まだその頃はムラっけも多くて、調子が良い時と悪い時の差がすごい激しい子だったんですよね。自分の得意なプレーはするけど、苦手なプレーはちょっと避けちゃうような感じ。特に青森山田に行って苦労した守備の部分だとか、判断の部分というものに関してはまだまだ足りないところが多かった子なので、そういったところは言いつつも、中1だったのでそこまで多くを求めすぎず、ある程度自分の能力のところを出していけということで、中1の頃からドリブルのところはやらせていたんですよ。

ただその当時バイロン自身は言わなかったですけど、卒業してからいろいろと話す中でやっぱり中学生に上がってから自分のこのフィジカルだと今後通用しなくなってくるというのを自分で感じたと言うんですよ。感じたから自分はドリブルを徹底して練習をしていったと。ドリブルに関してはうちの練習でというよりも、自分で身につけていったというのが大きいですね。

中学2年の時は(小室守)代表が見ている一個上の学年に入っていたので自分は見ていなかったんですけど、もう2年の時にはレギュラーでやっていた中で、だいぶ判断の部分だとかというのは良くなってきて、ハードワークは中1の頃よりはできるようになってきていました。

それでまた中3になった時に自分がバイロンの学年を担当して、とにかく1年、2年で培ったものプラスαで、彼の武器はやっぱりボールタッチだとかドリブルというところが一番強みだとは思ったので、そこに関してはとにかくミスをしてもいいからやれと。ただ取られたら取り返せと。あまり多くを求めすぎずと言ったら変ですけど、彼なら最低限の部分はできる子だったので、もう徹底してそこはこだわってやれということは言い続けていました。

また彼にとって良かったのは近くに榎本樹(松本山雅、バイロンとはペレーニアの同期)がいたこと。互いにライバルという気持ちでやっていたので、本当にあの2人が相乗効果で徐々に徐々に噛み合うようになってから、その学年も結果が出て、最終的に県1部リーグも優勝できた。彼らがひとりひとりで自主練で頑張ったというのはありますけど、やっぱりそういう仲間が、ライバルが近くにいたというのは大きかったと思います。それは榎本にも言えることなんですけど、2人がお互いをお互いで意識しながらやっていたというのはでかかったと思いますね。

いまのこの状況でも榎本もバイロンのことを意識しているし、同級生同士でやっぱりお互いがお互いをまだ意識していて、初蹴りを1月5日にやったんですけど、その時も榎本はバイロンに「高校時代、俺が出た試合は1回も山田に負けてねえ」って言っていましたよ(笑)。

―その後、強豪・青森山田に進学することになります。

クラブとして進路は基本的に子供や親御さんに決めていただいて、それを後押しするという形で動いている中で、(青森山田高校監督の)黒田(剛)先生に県リーグに来ていただいて、実際にバイロンのプレーを見ていただいて、熱心に声をかけていただいた。黒田先生がここまで来るんじゃ、こいつも相当すげえ選手なんだなと思いましたね(笑)。

ほかの高校やJクラブの方々も熱心に誘っていただいて、練習にも参加させていただいたんですけど、最終的にひとつバイロンは高体連に行きたいというのもあったみたいです。あとはやっぱりプレミアリーグでやっているというのが一番彼の中で大きかったみたいで、上のレベルでやりたいというところで最終的に本人が決めて、それを後押しするだけでした。

―青森山田でいろいろなことを身につけて、成長して、最後選手権制覇を果たすわけですけど、そのあたりの成長はどういうふうに見ていましたか。

本人は相当苦しかったと思うんですよね。ただそれはもう本当に本人が足りなかったところを教えていただいて、身につけさせていただいてというところが大きかったと思うので、正直よく頑張ったなとは思います。

ただ本当に昔から夢描いていたプロサッカー選手になるためには、絶対的に乗り越えなくちゃいけないところだったと思うので、そこに関してはいろいろ話を聞くと多分途中で挫折しそうな時もあったんですよね。ただ本人が本当にそこは耐えて、頑張って、乗り越えたので、そこは本当によく頑張ったなとは思いますね。

―そういった中で昨年の選手権ではかなり逞しく成長した姿を見せてくれました。

バイロンが高1の時に一度青森遠征に1、2年生を連れて行って、山田中とも試合をやらせてもらいながら、バイロンの試合を見ながら帰ってきたことがあったんですけど、その頃はまだまだ本当に線も細かったですけど、逞しくなりましたよね。ただ彼だったらもっとできたとは思いますね。あれだけフィーチャーされてあれですけど、もっとボールタッチも柔らかくできただろうし、ちょっとそこらへんがまだまだだなとは思いましたね(笑)。

―青森山田高を卒業後は自分に足りないフィジカルを補うためにいわきFCを選んだというのは彼らしいなという感じですか。

そうですね。結局いままでの生き様も、みんな全部自分でしっかり決断を下して、高校にいく時もそうですし、ブレないですね、彼は。自分の考えを持っていて、誰がなんといっても自分がそう思わないと動かない子なので、それに関してはもう本当にいまの子たちには絶対的に足りないことだと思います。もう自分というものを見据えていた。もちろんいろいろ右に曲がったり、左に曲がったりも多々ありましたけど、最終的にはそこをちゃんと自分が思い描いている方向に自分自身を持っていけるというのは彼のすごさじゃないかなと思います。

―今年2月にはチリ1部クラブに期限付き移籍することが発表されました。

チリに行く前に話があったんですけど、正直、寂しいことは寂しいですよね。ただ本当に彼が目指しているところというのは日本国内でというよりも、やっぱり「チリ代表になりたい」「それになるためにはやっぱり日本じゃなくて、ヨーロッパだとか海外で活躍したい」というのは常々言っていたことだったので。それはもう本当に応援してあげたいですよね。

―チリ代表になりたいというのはいつ頃から?

もう中学生の時には言っていましたね。その時のあいつの言い方が面白くて(笑)。だって「日本に帰化しないの?」って話にやっぱりなったんですよね。どうしても高校だったり、特にJユースのところはすごいそれを聞かれて、やっぱりトップチームに上げる時に外国枠になっちゃうと。そういう時も話をしたんですけど、「いや、日本代表とチリ代表、どっちが強いと思いますか?」って話で、「チリの方が強いから、世界でもやっぱり強いチリの方を自分はもちろん選ぶ」って。まだチリ代表に選ばれてもいないのに(笑)。口はやっぱり達者でしたね。もう何回も喧嘩もしたこともあります。でもあいつらしいというか、あいつなりにいろいろ考えた中でいろいろ言葉を出していたので、自分がやっぱり俺はこうなんだっていう意思はすごい強く持っている子ではありましたよね。

昨年末には本人たっての希望でスクールを実施。子供たちにとって憧れの存在に

―昨年末にはバイロンくんが講師になって練習会をされたと聞きました。

スクールを1回やりました。それはもうバイロンたっての願いで、ペレーニアの方で子供たちに教えるような環境を作ってくれないか、サッカースクールをやってくれないかと。じゃあやろうよということで、なかなかちょっと日程が合わなかったんですけど、あのタイミングでスクールをすることができました(2019年12月22日)。

当日はちょっと雨が降ってしまったので、急遽体育館の方でやったんですけど、遠くは群馬だとか、東京の子だとか、あとは千葉もいたかな。近くの子たちだけじゃなくて、県外の子たちも集まってくれて、改めてこいつのすごさっていうのを感じましたね。

あとはうちの現役の子供たちにとってもやっぱりバイロンっていうのは特別なんですよね。その講習会の時だけじゃなくて、もう何回もやっぱりグラウンドの方にも顔を出してくれているので、中学生なんかにはやっぱり憧れの選手ですよね。そういった子供たちに夢を与えられる立場にいまなっている。そういったところも考えつつ、あとは最終的には自分と家族のためにもっともっと良い選手に育ってほしいなと思いますね。

―最後に今後の彼に対するエールをお願いします。
やっぱり自分が思っている目標だとか、夢というものをいままで通り、ブラさず、夢に向かって頑張ってやっていってほしいですね。

石黒登(取材・文)