江南南サッカースポーツ少年団

コウナン ミナミ サッカー スポーツ ショウネンダン

活動拠点熊谷市立江南南小学校、江南総合グラウンド 他
練習日火、水、木、土、日
HPアドレスhttp://kounan-minami.seesaa.net/

「自分で自分のネジが巻ける子供に育てる」松本総監督

―そもそも少年団指導に携わるきっかけというのは?

5年くらい前に辞めるまでずっと小学校の教員をしていました。サッカーは体育の授業でやっているくらいで、当時松山が結構盛んだったので、森林公園に行く道なりの小学校でサッカーをしている子供たちがいて「何やってるの?」と聞いたらスポーツ少年団だと。じゃあ俺もやろうかという感じで始めたんですよ。江南南で指導を始めたのは85年からですね。

―江南南の「サッカー=遊び」という指導理念について

世界的に有名な選手もきっと習ったというよりは、よくサッカーボールで遊んだ人たちが俺はうまくなっているのかなと思う。そうじゃなきゃ絶対に無理だよね。

なんといっても最後は本人の頑張りだから、自分で自分のネジが巻ける、そういう子供は育てたいなというのはある。だから中学や高校に行ってちょっと指導の方法が違ったらネジが動かなくなっちゃう子は少ないのかなというか、どんな状況でも自分でネジを回せるんだと思います。

―悪いところを探すより、良いところを見つけるというのも大切にしていると

チーム全体で何ができていないかというのはちゃんと見極めてトレーニングをしていくことは大切かなと思う。でも個人とすると、できたことはちゃんとその瞬間に褒めてやる。褒めてもらって嫌な気持ちになる子はいないですから。

―多くの選手をプロに輩出してきましたが、印象に残っている子は?

いまアルディージャでキーパーをしている笠原(昂史)は下手だったんですよ。でも下手な子でも努力できるやつは自分の道を切り開けるのかなと思う。

お母さんがうんと真面目な人で、4年生くらいでキーパーが決まると「どういう練習をしたらいいですか?」みたいな感じで聞いてきていましたね。高校は市船に行って、全国大会でインタビューされた時は、俺もいつも1日1時間以上はマンツーマンで蹴ってやっていたので記者の人に「誰に感謝していますか?」と聞かれて、当然俺だろうなと思っていたらお母さんだと。後で聞いたら監督は週4日蹴ってくれた、でもお母さんは毎日蹴ってくれたと。不器用だったけど、すごく一生懸命な子でしたね。

―いろいろなところで聞かれると思いますが、原口元気選手はどういう子でしたか?

もう車から降りると、すぐにサッカーボール。普通車から降りると荷物を下ろしてくるわけだけど、荷物もろくに下ろさずにもう自分だけサッカーボールを蹴ってたりとか。あとは試合と試合の間の休憩時間でも遊んでもらいたいからボールをわざと俺にぶつけてきたりね(笑)。

―本当にサッカー少年という感じですね(笑)。江南南ではさまざまなポジションを経験したと

6人制のバレーボールってローテーションするじゃないですか。あれと同じように点が入ったらワンローテ、5分経って点が入らなくてもワンローテ。もうキーパー以外は全部やる。

だからハリルが原口元気をサイドバックで使ったり、あとはボランチで使ったこともあるけども、あいつをボランチで使った時に俺は「ハリル、なかなかやるな!」と思いましたよ。原口的な感覚だとカタールはまだアタッカーで出て、その次のW杯はボランチで出ようかなと。俺は3回出るって言ってますよ。それは無理だろうって言ってるんだけど(笑)。

―中央部と比べて人も集めづらい中で、上に繋がる選手を輩出し続けているというのは?

江南の子は中学年代でほとんどクマガヤSCに入るのでそういう良さはあるかなと思います。もちろんプロになるチャンスに恵まれた子は幸せなことだし、やりたくてもなかなかできない子もいるのでそういうチャンスをもらった子は頑張ってもらいたいなと思いますが、なれなくても他のいろいろな職業で自分の良さが見つけられる人間になってもらいたいですね。

石黒登(取材・文)