浦和南が全国の舞台で得たものとは【選手権振り返り】

全国高校サッカー選手権は青森山田の優勝という結果で幕を閉じた。埼玉県代表として17年ぶりに出場した浦和南は残念ながら1回戦敗退に終わったが、それでもこの舞台に立たなければ感じ得なかった想いがある。今季チームをセンターラインから支えた3選手の想いとは。

17年ぶりの選手権、改めて実感した浦和南という伝統 MF鹿又耕作

県大会優勝後、改めて感じたのは浦和南という伝統だ。

「表敬訪問で市長さんに挨拶に行った時に涙を流して喜んでくれて。伝統校なんだなというのを改めて感じました」と鹿又耕作。現職の清水勇人市長が子供の頃はちょうど浦和南の全盛期。市長も“赤き血のイレブン”に魅了され、その復活を待っていたひとりだった。また「地域の方々にもすごい“おめでとう!”と言っていただきました」。歴史としては認識しながらも、普段生活をする上ではなかなか感じ得なかった先輩たちが残していった伝統を肌を持って感じた。

チケットは試合前日の時点で完売、急きょ準備された当日券も飛ぶようになくなった。NACK5スタジアムは17年ぶりの選手権出場を見届けようと駆けつけた観客で埋め尽くされた。「本当にたくさんの人が応援してくれている中で、期待に応えられなかったのは本当に悔しいし、申し訳ないです」。それでも今年は久々のインターハイで全国1勝、そして選手権出場と、浦和南の伝統に「新しい歴史」を刻んだ選手たちに試合後、観客席からは温かい拍手が送られた。

「来年は絶対に全国の舞台でリベンジして欲しいです」と鹿又。歴史のバトンはFW佐藤智隆やMF中道麗心、DF庄司千暁ら、後輩たちに受け継がれていく。

「野崎先生を信じてやってきてよかった」DF相馬海音

相馬海音には一度本当にサッカーを辞めようと思った時がある。

2年生だった昨年はチームとしてなかなか結果が出ない中、選手権予選はまさかの1回戦敗退。「負けてしまった後の走り込みとかが本当にきつくて。指導してもらえないこともあって、“監督、なんでやってくれないんだ!”みたいに思っていたこともありました」と振り返る。

当時はそれを「理不尽」としか思うことができなかったが、「そういうことがあったからこそ、いまの走り負けない身体を作れたし、本当にちゃんと良かったんだなというのをいまさらながら感じています」。私立優勢の時代に公立高校がいかにそこに立ち向かっていくか。いまだからこそ、そこにチームを勝たせようとする指揮官の愛情があったと感じることができる。

浦和南では珍しく野崎監督のことを知らずに入学したという相馬だが、今年は試合後にマイクを向ければ「野崎先生の指示に従ってきたからこの結果がある」「野崎先生のおかげ」と、誰よりも恩師の名前を挙げたのは1年前に本気で一度辞めることを考えていた背番号5だった。

「野崎先生に全国に出させてもらって、でも最後自分たちの実力不足で野崎先生を勝たせてあげることはできなくて本当に申し訳なく思っています。本当に3年間、野崎先生のことを信じてやってきて良かったと思っています」。最後の言葉も恩師に対する感謝の言葉だった。

自らの課題と向き合って大きく成長した「充実した」1年間 GK正野友稀

選手権での1勝はならなかったが、正野友稀はこの1年を「充実」という言葉で振り返った。

昨年は試合に出られずに歯がゆい想いをした中で、今年は「どう成長したら試合に出られるか」自らの課題と向き合ってスタメンを掴んだ。インターハイでは全国1勝を経験したが、一方で再びこの舞台に立つべく守備範囲の拡大を掲げ、冬は果敢な守備で大会を通じて失点「1」と堅守を支えて17年ぶりの全国選手権出場に貢献。常に課題に取り組みながら大きく成長した1年。だからこそ「最後は悔しかったですけど、すごく充実した1年間だったと思います」。

良きライバルとして3年間ともに高め合ってきた桒原丞に対しては「本当にあいつはすごい努力型で、いつもすごい遅くまで自主練をやったり、朝練でも人一倍練習している姿をみんな見てきた。自分がいないとしても安心してゴールを任せられましたし、お互いに信頼関係もあった。やっぱり一緒に切磋琢磨して、お互い成長してきたので感謝の言葉しかない」とした。

石黒登(取材・文)

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