須藤直輝「よりサッカーが大好きになった」3年間。この経験を無駄にせず鹿島で成長することを誓う

MF須藤直輝にとって最後の選手権は、昨年大会に続きベスト8で幕を閉じた。

前半はなかなかボールを持つ時間が少なかった中で「自分が距離感を短くして、簡単にボールを離していけばリズムが生まれると思った。ボランチやトップ下が運べるところはあったと思うのでもっと運ぼうと話をしていました」。後半は左サイドからトップ下に移ると自らも積極的にチャレンジ。チームも須藤に呼応するように徐々にリズム感のあるパス回しを見せていく。

すると決定機は後半29分。MF篠田大輝が右サイドからカットインしながら横パス。FW小見洋太が繋ぐとボールは須藤のもとへ。背番号10はひとつ右に持ち出して強烈なシュートを放ったが、山梨学院GK熊倉匠に防がれてゴールならず。「ここを決めるしかないという想いでシュートを打ちましたが、熊倉はうまくて、そこを剥がせなかった。振り返るとすごく悔しいです…」。

その後も昌平は1回戦の高川学園戦のように最後まで猛攻を仕掛けたが、ついにネットを揺らすことはできず。終了のホイッスルを聞くと天を仰ぎ、須藤の高校サッカーは終わりを告げた。

ピッチ上では最後まで堂々と振舞った須藤だが、ピッチを降りると涙。ピッチサイドでは大宮アルディージャJYの同期で負傷により無念の途中交代となったDF唐木晃と長い抱擁を交わした。「晃とは6年間一緒にやってきて、常に一緒にいたし、オフも一緒にいた。あいつがいなくなった時にはあいつの分も頑張らなければと思ったし、もっとあいつとサッカーをしたかったです。6年間一緒にやってきてくれてありがとう、大学でも頑張ってと伝えました」。

今大会は厳しい警戒を受ける中で本来のパフォーマンスを100%発揮できたとは言い難いが、「それでも一流の選手はその中でも抜いたり、ゴールを決めることができると思う。そこは自分の実力不足ですし、現実を受け止めてもっとうまくならないといけないと思っています」。決して言い訳することはせず、結果を受け止めながら、チームを勝たせられなかったことを悔いた。

1年次よりエースナンバー10番を背負い、インターハイ3位や2年次はゲーム主将として選手権で初の8強入り、そして今年は主将としてコロナ禍でチームとして難しい時でも最前線に立ちチームを先導してきた。嬉しいことや悔しいこと、さまざまなことを経験してきた3年間。

「昌平でやってきた3年間はたくさんの出会いがありましたし、その中で色々な刺激もあった。(藤島崇之)監督と出会って、面白いサッカーをやる選手も揃っていて、自分のサッカーの幅が広がりましたし、よりサッカーに夢中になれて、サッカーが大好きになった」。

「この経験はアントラーズに行っても生きてくるものだと思うし、この経験を無駄にしてはいけないと思う。昌平のスタイルある、技術のある選手として見られると思うので、昌平の良さを兼ね備えて、もっともっと成長をしければと思っています」。昌平で体現してきた「見ていて楽しいサッカー」「やっていて楽しいサッカー」は今後、鹿島で発揮していく。

また、自らが高校サッカーを志すきっかけとなった父や支えてくれた家族にも感謝。「自分が高校サッカーを夢見るようになったのも父のおかげですし、父がいなければ高校サッカーの道を選んでいなかった。最高の3年間を過ごせて、家族はたくさんサポートをしてくれて、常に寄り添ってくれてありがたいですし、家族を日本一の景色に連れていけなかったのはすごく悔しいですが、またJリーグの舞台でサッカーを続けられるので、この舞台で恩返しができるようにやっていければと思っています」。

最後に自らが夢見た選手権は須藤にとってどんな大会だったのだろうか。「選手権は楽しかったです。最高のメンバーでサッカーができたのが楽しかったですし、もっともっと一緒にやりたかったという悔いはありますが、良かったです」。日本一を獲得して満点の、とはいかなかったが、最後に見せた表情は「サッカー小僧」須藤らしい笑顔だった。

石黒登(取材・文)