大宮U18FW高橋伸太朗、中体連からユースへ進み「自分の努力次第でどんな舞台にも立てる」を体現した3年間 中学生へ「自分も頑張ろうと思ってもらえたら嬉しい」
この舞台に立てたから成長できた。大宮アルディージャU18FW高橋伸太朗(3年)は「自分が成長できたのはプレミアに出られたから。後輩たちにもここで成長してほしいっていう想いがあって、この舞台だけは絶対に残さなきゃいけないなと思っていたので一安心です」と話した。
最終節の昌平戦は引き分け以上で残留を手にできる状況だったが、「もう2連勝で来ていて、自分たちが勝てばもう無条件で残留なので、もう「勝とう!」と1週間トレーニングしてきた」。
FWとしてスタメン出場すると18分だ。「山中がボールを持った時に、背後にスペースがあるなと思って動き出したら素晴らしいアウトサイドのパスが来た。冷静にキーパーを見て、キーパーがちょっと出てきていたので交わして流し込んだ」。売りとする背後へのランニングでMF山中大智(2年)のスルーパスを呼び込むと、前に出たキーパーを冷静に外しネットに流し込んだ。
これが今季プレミアでの5ゴール目。チームを波に乗せた一発は自身の後期初ゴールだった。
仲間の想いも背負って臨んだ一戦でもあった。前節・前橋育英戦の終盤にこの試合で先制点を奪ったFW石川颯(3年)が後十字靱帯を損傷。最終節を前に無念の離脱となってしまった。「彼はジュニアからいて、アカデミーで過ごした時間は自分よりも長くて、思い入れもあったはずなんですけど、代わりに自分が出るってなって、彼の想いも背負ってやらなきゃいけないなっていうのは今週1週間のトレーニングも通してやってきたので彼の分もゴールできて良かったです」。
60分にベンチに下がると、終了の笛と同時にその場で泣き崩れた。「(ピッチの)中に行こうかなと思ったんですけど、もうダメでした。(嬉しくてというよりも)安心ですね。プレッシャーと重圧があって。先輩たちがずっと残してくれているのに、それを自分たちの代で終わらせるわけにはいかない。クラブとして成長していくためにも(残留できて)良かったです」と語った。
多くの選手と同じジュニアユースからの昇格組ではなく、中体連のさいたま南浦和中からユースの門を叩いた。「最初はレベルの高さに驚いて、何もできなかった」。当時の3年生でトップに昇格したFW山崎倫と対峙した際には何のフェイントもなく抜かれたことは鮮明に覚えている。「ほかの上級生も本当にうまくて、「これ、やっていけるのかな」みたいな不安は正直あった」。
1年次は足首の捻挫、復帰、再び捻挫、復帰、三度怪我、復帰…と繰り返し、なかなか順応できず。2年次は1年を通して怪我なしで乗り切ることができたが、試合に絡むことができない時間が続いた。それでも「この苦しい時にどういう姿勢でできるかっていうのは、サッカーだけじゃなく、今後の人生にも生かせる大切な学びを得られたのはとても大きいなと思います」と話す。
今季はスタメン11試合を含む17試合に出場。「レベルも高くて、スピード感とか、球際、切り替えのスピードも全然違う。練習が試合に繋がるって言いますけど、やっぱりこの舞台を経験することが一番の成長かなと思うので、1、2年生にこの舞台を残してあげられて良かったです」。自身としても第7節で初得点を挙げると、第9節から第11節まで3試合連続弾も記録した。
2年前の4月、真新しいオレンジのユニフォームに袖を通し、大宮U18の一員として初めて臨んだ浦和カップで「日々の積み重ねしかないと思っているし、自分の努力次第でいろいろ変わると思う。自分がサボればその分、実力がつかず試合も出られないまま3年間が終わってしまうし、自分が努力すればプレミアの舞台にも出られると思う」と意気込みを話していたのを思い出す。
それを体現した3年間。「やっぱり中体連の選手は珍しいし、自分の活躍で、いまの中学生が少しでも目標というか、彼ができるんだったら自分もできるし、一緒に頑張ろうみたいに思ってもらえたらとても嬉しい」。上を目指すいまの中体連の選手にとっても大きな希望となったはずだ。
卒業後は関東2部の大学に進学予定。「全員が揃うかはわからないですけど、みんながプロを目指して、大学で続けて、個々が刺激しあって、4年後、またみんなとプロで会えたらいいなと思います」。高橋ももちろん、そこを目指していく。「自分が努力すればどんな舞台にも立てる」。大学でもその姿勢を表現しながら努力を重ね4年後、みんなと今度はプロの舞台で再会する。
石黒登(取材・文)