全国高校サッカー選手権直前!正智深谷 小島時和監督インタビュー

今年も激戦が繰り広げられた埼玉県予選を制し、2年連続の選手権切符をつかんだ正智深谷高校。ここ10年で6度の決勝進出、そして3度目の選手権出場を決めた同校・小島時和監督に赴任当時のお話や指導方針、チームのこと、そして直前に迫った選手権ついて語っていただきました。

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ボイコットを受けたことも… 一歩一歩前に進んできた

——まずは小島監督の指導歴についてお聞かせいただけますか?

小島:国士舘大学を卒業して、まずは東京農業大学第三高校に体育の教員として赴任しました。そこでサッカー部のコーチとして5年間指導したのちに、国士舘高校の方に移りそちらでも6年半ほどサッカー部のコーチをしていました。そんな折に当時の埼玉工業大学深谷高校、今の正智深谷高校からサッカー部の監督をやらないかと話をいただき、国士舘も選手権に出場するギリギリのところまできていたので悩みましたが、移るチャンスも年齢的にもラストだろうということで1999年に思い切ってこちらにきました。

——赴任された当時のサッカー部はいかがでしたか?

小島:当時はとにかくサッカーよりも生活指導や規律などそんなことばかりをやっていて、サッカーどころではなかったですね。これは必ず話をするんですが、始めはグラウンドも芝がぼうぼうで長方形ではなく楕円形だったんです。まずはグラウンド整備で1日ずつ角を作っていって、1週間でサッカー場を完成させたりそういう時期でした。他にも挨拶や返事、時間厳守、報告などそういうところの規律をまずビシッと決めて、本当にサッカーを教えるというよりも最初はそういった体制作りから始まったという形ですね。

——本当に一からチームを築きあげてこられたという感じですね。

小島:当時は新人戦で埼玉県のベスト8に1回入ったくらいで、あとはほとんど実績もなかったようなので、引き継いだというよりも新たなサッカー部を作ろうという意識の中でいろいろと決めてやっていった感じですね。その後徐々に秩父であるとか、本庄や上里などのちょっと上手な子たちが何人か来てくれるようになり、2年目か3年目には組み合わせにも恵まれて選手権予選でベスト16まで進み、徐々に実績も作れるようになっていきました。またクラブチームとも連携を取りながら、良いメンバーも集まるようになってきて、いろいろと確立されていきましたね。

——そういった中で指導の仕方も変わっていきましたか?

小島:そうですね。徐々に上手い子が入ってきたので、指導も規律や生徒指導などといったことから、サッカーの技術や戦術などにどんどん移行していきました。それまでの指導の仕方でも県のベスト8などそういったところまではいけていましたが、その先を突き詰めるという意味ではやはり選手の質や意識だとか、そういったものが変わっていかないと難しいという中で徐々に変わっていったという感じです。

——全国を意識し始めたのは何年目くらいから?

小島:全国はこの学校に来た時からいつか行ってやろうというのは常にありました。最初の頃は厳しすぎてボイコットされたこともありましたね。その時に子供らと話をしたら「先生は全国全国と言うけれど、僕らはそんなレベルじゃないし……」ということを言われました。ただ私がそういう意識じゃなければ絶対に全国には行けないから、そういう練習や気持ちについてこれないんだったら辞めてくれという話をしました。そうしたらみんな辞めずにとりあえずついてきてくれた時期もありましたね。

——いろいろとご苦労があったんですね。一方で小島監督が就任されてから正智深谷高校は着実にレベルアップを重ねてきました。

小島:僕がこの学校に来てから成績が下がったことはないですね。常に前年度の記録を塗り替えたり、一歩一歩前に進んでいるという感じはあります。振り返ってみるとこの10年で6回決勝に進出して選手権出場も今回で3回目、インターハイでも2013年に3位になりました。だからといって常連チーム、強豪校だなんて気持ちは毛頭ありません。とにかく毎年毎年勝負という感じですから。気がついたらそういう結果が残っていたという感じです。

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